友禅染という技法の一番の特徴は、糊を細く絞り出して模様の輪郭を囲み、染料の滲みやはみ出しを防ぐこと。

これを糸目といいます。

糊を落とすと、染まっていない白い線となって残ります。

これにより、ごく細い糸目で緻密な模様を表したり、あたかも筆で描いたかのような強弱のある線を表したりすることができ、染色でありながら絵画のような表現ができる所以です。

 

染料のにじみを止める堤防としての役割の他に、糸目の防染だけで模様表現することもあります。

この大切な糸目の糊には、もち米を材料にするものと、ゴムを材料にするものの2種類があります。

現代では多くがゴム糊ですが、マルニ友禅工房では、もち米糊を使っています。

 

1番の理由は、洗い上がった時のもち米糸目の線が好きだから。

ゴム糊が蛍光灯とすれば、もち米糊はろうそくの灯りのように感じるから。

ゴム糊はばっちりと明確な線が出ますが、もち米糊の線はかすかににじみ、かすかに黄ばみ、びしっとしていながら何とも言えない味わいがあるように思います。

とことんすっきり仕上げたい時など、ゴム糊の方が合う場合もあるのですけど。

結局は好みでしょうか。

 

2つめの理由は、ゴム糊を生地に浸透させたり洗い流すためには、揮発性などの化学薬品が必要なこと。

もち米は水に溶けるけど、ゴムは水に溶けないから。

桑の葉を食べて育ったお蚕が繭を作り、それで織り上がった絹に丹念に糸目を引くと、刺激的な薬品に浸すのがなんとなく、ためらわれる気がするのです。

現代の友禅染めでは、化学染料を始めさまざまな化学薬品を使うのですが、できることなら、できるかぎりは、本質をとどめる方法を求めていきたいと思っています。

 

友禅染めを始めたばかりの頃、上野の博物館で江戸時代の友禅を見た時、職人の魂がこもったような糸目の線に鳥肌が立ちました。

気が遠くなるほど緻密で正確なのに、この圧倒的な情感は何なんだ? と。

現代はあらゆるものが機械化され、緻密な模様の布など、いくらでも溢れています。

でも、人間の熟練した手仕事の迫力、存在感、ぬくもりは、なにか琴線に触れるように思います。

染色でも他の工芸でも、世界中の片隅に、それらが永遠に息づいていてほしいといつも願っています。

 

友禅染めはもともと分業制であり、今でも京都や金沢などには糸目専門の職人さんがいらっしゃいます。

ゴム糊であれもち米糊であれ、素晴らしい仕事は素晴らしく、糸目一筋数十年の仕事には足下にも及びません。

でも気持ちだけは、いつでも先の何かを求めていきたいと思っています。

 

 

 

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